raioncatのゲーム日記

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主にゲームに関することを書いています。たまにゲーム以外も書きます。

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祖母が亡くなったがコロナのせいで葬式行かない

 父方の祖母が亡くなった。予め申しておくとコロナのせいではなく、4~5年前から患っていたとある難病のせいだ。もう一度言う。コロナで亡くなったのではない。

 その難病が悪化し、病院に入院を余儀なくされたのが今年の頭くらいからだったと記憶している。そして先日、父の元に「危篤」の一報が入った。父は車ですぐに家を出て、祖母が入院している病院(関西方面)へ向かったのだが、道中で祖母が亡くなった連絡を受けた。そしてそれは私の元へも届いた。

 深夜帯だったが、ショックで眠れなかった。気を紛らわそうとネットを見ても、沖縄旅行の思い出や、地元のお祭を観に行ったり、子供の頃に夏休みを利用して遊びに行った記憶ばかりが思い起こされてネットどころでもなかった。

 実は2年前(コロナが世に広まる少し前)に祖父が亡くなっている。今回、祖母は後を追うようにして亡くなったのだが、祖父を喪ったの喪失感がまた掘り起こされている気分だった。

 祖母が亡くなってから2~3日経って告別式や葬式などの日取りが決まった。当然ながらコロナ渦な上に、関西方面の病院に入院していたので少人数で粛々と行うこととなった。一人、二人と関西に住んでいる身内は参加を表明し、既に現地へ赴いている人もいた。

 私は悩んだ。

 行きたい。当然行きたい。幼少の頃からずっと可愛がってもらっていた祖母に、最期のお別れを言いに行きたい。今までありがとうとお礼を言いに行きたい。

 ただコロナが行く手を阻んだ。

 今までもコロナに様々なことが阻まれた。そのせいでコロナを憎んだことはあったし、「クソコロナがよ~」とぼやいたこともあった

 けどこれはその比じゃない。

 親族が死んでお別れができない。

 祖母は関西方面の病院で亡くなった。「関西はコロナがやばいよ」と散々テレビやネットで見た。実際、今月の31日まで大阪・兵庫・京都は緊急事態宣言が出ている。父は車で行ったが、もしも私が行くとしたら電車になる。

 関東から関西まで乗り継いで電車。

 行けるわけがない。東京駅は必ず経由するし、関西方面の駅にも寄らなければならないからどこかでもらう危険性はグッと高まる。車で行くのとはワケが違う。

 そんなわけで、コロナを恐れた私は葬式に行かないという決断を下した。

 その旨を現地にいた父に伝えた時は、情けなくて、悔しくて、「コロナで行けない」と、それ以上に言う言葉が見つからなかった。「そっか…コロナだもんな…」と父は理解を示してくれたが、その声色は今までに聞いたことがないほど優しくて柔らかく、そして残念そうだった。

 父の声を聞いて、私は喪失感に苛まれた。

 行くのが面倒じゃない。金が無いんじゃない。ただ目に見えないウイルスが怖くて行けないのだ。行かないじゃない。行けないんだ。━━━━と、誰に対して言うでもなくずっと心のなかで言い訳をしていた。でも最後に判断を下すのは他の誰でもない俺自身だから、やっぱり行かないが正しい気がする。

 憎い。コロナが憎い。悔しい。私を可愛がってくれた祖母に直接お別れを言えない。焼かれた体から骨を拾い、骨壷に入れて弔うこともできない。

 今までにないコロナというウイルスへのヘイトが私の中で高まっている。

 

 けどそれ以上に、祖母を喪ったことが、悲しくて、寂しくて、虚無感が上回る。コロナへの恨みつらみでかき消そうと頑張ってみたけどダメだった。

 悲しい。

 祖父を亡くしたときの喪失感も蘇って倍になって押し寄せてくる。悲しい。

 そういえば祖父との葬式で会ったのが私と祖母の最期だった。コロナが広まってからは一度も会わなかった。それを思い出すと、また虚しい。無理してでも一回は会いに行けばよかったと後悔している。けれど、もしも道中で私がコロナをもらってしまいそれを知らず識らずのうちに祖母に移して、それで難病と併発したらと思うと、もうどうすればよかったのかわからなくなってくる。

 

 とあるYoutuberは自分の母を癌で亡くした際、その次の日に海外旅行をして気を紛らわしたというが、コロナ禍ではそれもできない。

 世の中には、きっと私と同じ境遇の━━━━コロナで親族の葬式にいけなくなった人がいると思う。この虚無感はどうやって乗り越えたのだろう。どうやって打ち勝ったのだろう。どうやって紛らわしたのだろう。

 私はそれを知りたい。

 とにかく今は申し訳ない気持ちが凄い。

 ばあちゃん、葬式行けなくてごめん。そう思いながら線香を家から焚くので精一杯。ごめん。墓参りは絶対に行く。本当にごめん。

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