【原神】「間章:第一幕 風立ちし鶴の帰郷」を終えた感想と考察、人間としての矜持
仙人でも化け物でもなく
申鶴を引いたので、彼女のメインエピソードになる「風立ちし鶴の帰郷」を終わらせました。同時期に実装された雲菫ちゃんもがっつり絡んでいましたね。
いやぁ良い話でした……。
大筋としては、群玉閣の再建をしてオセルの妻である『渦の余威』を倒すこと。
この章を終わらせている人からすると「いやいやいや、それよりも申鶴と雲菫の話をしろよ」となりますが、本来のストーリーの大目標は「群玉閣の再建」です。そのために申鶴と雲菫と主人公が頑張るお話です。
ですが、そのサイドストーリーとして申鶴の生い立ちが深く関わっているため、切っても切り離せないんですね。
申鶴は、産まれたときから並外れた胆力と異能力を持ち合わせ、故郷では化け物と忌避されます。
しかも、父親が母親の命を蘇らせるために儀式を行い、呼び出した神様に生贄として差し出されてしまいます。
ところが父親が呼び出した「神様」は「魔神」であり、申鶴の力を我が物にしようとしていました。
申鶴は、わずか6歳で魔神と三日三晩戦い続けることに。
娘を生贄に捧げてから三日が経ちましたが、一向に妻が蘇ることはありません。自分の過ちに気づいた父親は庭の木で首を吊りました。
やがて騒ぎを聞きつけた仙人は魔神を倒し、申鶴を拾い上げ、育てることにします。そしてこう言いつけます。
「他人のために力を使いたいと思った時、人間社会に溶け込むことができるだろう」
仙人に育てられた申鶴は人間社会に馴染めず、俗世との繋がりは消え去り、時折出会う人々からは仙人として崇められる人生を送るのでした。
雲菫の父親が書いた「男女劈観」はここで終わります。
ですが、劇のモデルとなった申鶴の人生を加筆することにしました。
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成長した申鶴は璃月港に訪れました。
かつあげされているところを主人公に助けられた申鶴は、群玉閣の再建を手伝うことを申し出ます。やがて再建を終えると、封印された夫の復讐を果たすべく「渦の余威」が現れました。
「今はもはや人間が統治する時代。この訪れし危機、璃月港の人々は自らの力で乗り越えなくてはならない」
仙人の力を借りずに、人間の力だけで全ての厄災を乗り切る。
凝光の宣言に呼応するかのように、申鶴は生まれ持った力と方術を駆使して、主人公とと共に『渦の余威』を撃退しました。
この時、この瞬間、彼女は「化け物」でも「仙人」でもなく、「人間」として璃月港の一員に加わることができました。
3つのエピソードを1つに
宙ぶらりんになっていた「璃月港の復興」。
新規キャラとして実装された「申鶴の生い立ち」。
同じく新規キャラの「雲菫の劇」。
考察になりますが、この3つを一度のエピソードに纏めて終わらせたのが中々やるなと。
特に父親から捨てられた申鶴とは対象的に、父親の舞台を完成させた雲菫の対比が良かったです。
雲菫と父親の仲良しエピソードがあまり語られなかったので際立っていたわけではありませんが、意図して雲菫の舞台を最後に披露したのではと考察します。
タイトルの「鶴の帰郷」は、父親に捨てられて仙人に育てられた申鶴が、紆余曲折を経て人間社会に帰ってくるという意味が込められているのでしょう。
だからこそ申鶴は、凝光の謳う「仙人保護下からの脱却」に絡められたのではないでしょうか。
惜しむらくは、少し駆け足だったのと、全体的にストーリーの重心が申鶴に寄っていて凝光と雲菫関連がちょっと弱かったくらいでしょうか。
けど、やっぱり最後の劇で全部許せちゃいます。
もう一筆加えられたところで、BGMの盛り上がりと相まって涙が出そうになります。
急にボイスが重みのある中国語になって思わず笑っちゃいましたけど
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